28日月曜日は、今年最後のゴミの回集日でした。
今回私がゴミを出していく筈だったのですが、うっかり忘れて出かけてしまい、
気が付いたのは、仕事中にゴミ収集車を見かけた時です。
『しまったーっ!ゴミが家の中で年を越してしまうぅぅっ!!』
しかし、直ぐに引き返すことが出来ません。
普段から近所のゴミ捨て場は11時過ぎに集めに来るので、もしかしたら大丈夫かもと、
お昼休みに戻ってみると、まだ回集に来ていませんでした。ラッキー&安堵(^_^;)
最悪、ベランダで年越しをする事を覚悟していたので、本当に良かったです。
さて、今日の本題です。
2日目は姫路城へ行って来ました。
敷地内の外では、蚤の市がやっていました。

正確には、昔はここも城の敷地内だったそうです。
外郭の門の跡はここから数百メートル手前にありました。
午前中ですが、かなり活気がありました。
そして、城の入口にやって来ました。

橋を渡り、大手門を潜ります。

更に先を行くと、葵門があり、ここも潜ります。この城で一番大きな門だそうです。

ここから、順路に沿って見学しました。

西の丸から撮った姫路城です。

実はここまで来る間に、2、30枚は城の写真をっ撮っていました。
姫路城は、平成21年10月から、大天守保存修理事業をしています。
修理完了予定は26年だそうです。
今回の工事では、傷みや汚れの激しくなった白漆喰壁の塗り直しや
屋根瓦の葺き直しが中心となるそうです。
西の丸から、西の丸長局(百間廊下)へ入ります。
後に行きました、天守から見た百間廊下全体写真です。
左側から入り、右側から出てきます。
右側の一番高い瓦屋根のある所が、後で紹介する「化粧櫓」です。

千姫に仕えた侍女たちが居たところで、千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられているそうです。
局内は只今補修工事中でした。

↑補修後、↓補修前の壁です。色の違いがはっきりと分かりますね。
百間と言われるだけのある、長い廊下でした。

窓の外には、補修用の瓦が置いてありました。白いです。

廊下のあちらこちらに、敵の侵入時に鉄砲を向けられるよう「狭間」がありました。
城壁のを含め、現在城内には、およそ1,000もの狭間があるそうです。
↓侵入者に石を落とし攻撃する為の扉です。

開けすぎたのか、金具が壁にめり込み、痕が付いています。
千姫が居た化粧櫓内です。

千姫の生涯:姫路城HPより
千姫は慶長二年(1597)四月十一日、二代将軍徳川秀忠とその正室との間に生まれました。
千姫はわずか7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎます。この結婚は徳川家と豊臣家の結びつきを強めるためのもので秀吉の遺言による政略結婚であったと言われています。
やがて豊臣家と徳川家の争いが起こり、大阪夏の陣で大阪城は炎上していまいます。この時、千姫の祖父である家康の計らいで大阪城内に居た千姫は助け出されます。
その後、江戸に帰る途中、桑名城主本多忠政の子・忠刻(ただとき)と運命的な出会いをすることになります。一度夫に先立たれた悲しみを持った千姫の気持ちを察し、忠刻に想いを知った家康は、二人の結婚を認めます。
こうして、本多家が姫路城の城主となり、千姫も姫路城の姫となりました。
やがて千姫と忠刻との間には一男一女が産まれ、二人はとても幸せな時を過ごしていました。しかし、その幸せも長くは続かなかったのです。
わずか三歳にして、長男の幸千代が病気で亡くなり、さらに忠刻も病に倒れ、三十一歳という若さで亡くなりました。
夫と息子を亡くした千姫は、その後姫路を離れ、尼となり江戸で七十歳までひっそりと余生を過ごしました。
次回は、天守閣に入ります。